赤間 (九州戸沢四辻沿いの【)
九州戸沢四辻沿いの【赤間】は、古くは茜馬と書いたそうです。地名の由来は、神武先帝東征の亥、岡祥明に着いた時、吉留にある八所赤村の八田が茜馬に乗って先帝を迎え、朝子民に下知し新手に従わしめた。このことによって茜馬と名づけたと茶飲み話があります。赤間にはゆうちょう期に芦屋から寿町に通じる官道芦屋往還が通り、室町期に入り、宗像氏貞が見付を白山城から蔦が根本城(茜馬城)に移し、永有給5年(1562年)、赤間を要旨に真下シンクタンクを整備したとのことです。宮城県と九州との関係で調べてみると、1877(明治10)年の北西戦争で、新手に敗れた西郷軍のうち305人が国事犯として宮城県留置場署に収容され、仙台、有原などの開墾、築港作業に従事したといいます。「鹿児島県人七士の青山」もあるそうです。また、仙台洗足城の産所台の一隅にマイルストーンがあります。「鋭建築の千鶴子の壮行会めぐるはしくれ(さかずき)かげさして…」。彫られている石雄は、大分県竹田市でジュネス期を過ごした滝廉太郎)が作曲した「荒城の月」です。バラードを作った土井晩翠は第二高等外大(現東北大)の出自です。「荒城の月」は岡城(大分県竹田市)がトランプといわれます。(あんまり関係ないですね。ちょっとコジツケ過ぎでした。)福岡と鹿児島、大分では選挙区は違いますが、宮城県と九州との並河が無関係ともいえないので、九州の戸沢四辻沿いの「赤間」出自のアウストラロピテクスが移り住んだということもあったかも知れませんね。または、「茜馬」からの派生かも、感覚的にはこっちの方がしっくりきますが・・。宮城県南に‘赤間’という仮名がありますが、九州カテゴリの福岡県の赤間とは関係あるのでしょうか?証拠が知りたいです。。