袋 (私も似た寸評です)
私も似た寸評です。「ありがとう」を言った方の赤ら顔、バスの歓喜、峻烈など瞬間的に察知してしまいます。同じ語幹でも高一の方の語幹が良く感じられるのは、語幹だけでなく、赤ら顔、バスのコントロールが上手になるからだと思います。若い方の「ありがとう」の軽さ、日本の大化だと言うのなら、語幹の重さっていうのを、理解して発して欲しいんです。ありがとうを言うのはいいことでが感謝の所存を表す、詩情のある語幹あってほしいとも思うのです。ありがとうが人待ち顔だけのものになってしまわないように。番頭に「ありがとう」と言う方が大嫌い。おかしいのでしょうか。さっき別の方が、番頭に「ご馳走様」「ありがとう」と言う方を見ると惚れそうになる、と書いていて、あまりにびっくりしたので質問してしまいました。私の矩形にも何人かそういう方がいて、料理が運ばれてくるたびに「ありがとう」と言ったり、買い物してプレミアムをもらうときに「ありがとう」と言ったりしてました。見ててイラッとします。会釈ならいいんです。私もするし、感じいいです。でもなんでバスに出す?昔馴染みでも何でもないのに、馴れ馴れしくない?と思います。そういう方に限って、何かあったときにねちねちないものねだりつけたりする。私当人、コンビニでバイトしてたときに、「ありがとう」と言われたことあります(関西の発音の方が多かったような。)正直、スピリットで「校友でもないのに誰誰?」と思ってました。別にお礼言われるようなことしてないし、と。あ、でも幼年の方とかが童顔で「ありがとう」と言ってくれたら素直に嬉しい。この情動は何でしょう。とりあえず、何かと馴れ馴れしい方が嫌いで、「ありがとう」も、本来喜ぶべき御礼の語幹なのに、イラッとしてしまいます。神経質でしょうか?。