群馬八幡駅 (1997年に廃止にな)

1997年に廃止になった碓氷峠と189・183系「あさま」ですね~邦が群馬で祖父母の家人が群馬八幡駅の直ぐ近くに在るという事もあり、3歳の頃からあさまを見て育ちました。初子だった一身を皇子が良く横川に連れて行ってくれました。丁度7歳の時でした、碓氷峠が廃止になるのを聞いて廃止前の日に撮影を兼て祖父母とあさまで上田に行きました。ハムの意味が多かったこと、横川駅の隣家に溢れんばかりの意味でした。それを見て一様の理学が終わるとはこうゆう事なんだな~と幼いながら思いました。シュノーケル大好きな戦地にお聞きします。あなたがこれまでに生きてこられた中で思い出深いタンクは、何でしょうか?私自分、現在51歳になっていますがこれまで乗車したタンクは、数々ありますが非常に思い出深いタンクと言いますと東海道新幹線が開業する以前に東海道宮谷を走っていた151系ノットメタノールめ号と153系急行なにわ号・せっつ号・よど号です。又、常春ノットでしたが157系を使用していたひびき号にもたくさんの振り返りがあります。年の内は、昭和37(1962)年の頃の事で私と生母が大阪に住んでおりパパが東京同町に居住していた事もありその往復に良くこれらのタンクを利用した振り返りがあります。その当時のノットタンクと急行タンクの関係は、はっきりと明確に別れておりノットタンクは、現在のように気軽に利用できる存在ではなく本当に特別な存在のタンクでした。又、急行タンクと言えどもその当時の事ですが現在の漆黒車が1等車と呼ばれており2両連結されていた事もあり指定折返し点と自由折返し点がありました。それ以上に長時間の運転となりますので車内での供食設備が充実していた事もありノットタンクの場合ビュフェと米店車が連結されており更に急行列車に至っては、サハシ153がサロを2両はさんでもう1両連結されていたのです。私たち方が振り返りに残っているタンクは、どう言ったタンクがあるでしょうか?そのタンクの走っていた手筋とタンクに付いての振り返りを宜しくお願いいたします。